2007/07/21

20世紀型機能主義に依る、現挿絵の意義と、21世紀への展望

 勘違いして欲しくないのは、21世紀に向けての建設的な提案をボクがする気は無いということである.様々な不連続対、或いは事象が絡み合い、時に突変異を起こして、新たな不連続ベクトルが産まれる。既存の価値観は多かれ少なかれ、この突然変異体に明鏡を受けるし、新たなビジョン、可能性が切り開かれるものとボクは信じている。

 ここでのボクの役割は、20世紀に措ける機能主義を完全に装画・挿絵という分野においてそう決算しつつ、解体することを主目的とする。勿論経済活動としての活動は必要充分条件であり、この起点から上記したような解体作業を個人が試みるというのは無謀以外の何ものでもない。それが個人的欲求とはいえ、ボクは理論と実践というやり方を選択した。唯物論的機能主義は量子力学という畑違いの要素を内包しつつ、ボク独自の歪な思考を論ずることをこの場所で行うことは、無謀だとは思うし、そもそも自分自身の能力にもかなり疑問がある。が、ボクはそれをする為に存在するのである。

 歴史的な検証と、テクノロジーの進化は、挿絵という旧態依然とした分野において大きな変革が求められるべきであり、それは表層的な流行とは別に、現在の挿絵業界への大いなる反動でもある。そしてこのような社会的に認められた(もしくはきちんと理解しないままにモードにそって無目的に進行する)現状に対するドン・キホーテ的なアプローチであることもボクは重々承知している。

 ではなぜこのような暴挙にボクを駆り出すのか?答えは簡単。ボクが挿絵という形式を愛し少しでも貢献出来れば、という思いに他ならない。

 そういう意味では、学生臭さの抜けない初心な発想なのかもしれないが、そもそも学術研究というのはそういうものである。

 ここでは、徹底的な理論による様々なアプローチの正否を、広く開示することを目的とする。
 願わくば、少なくともボク自身の中でこうしたアプローチが良い刺激になることを望みつつ、逐一報告していくことを主旨としたい。聞き慣れない専門用語が脚注抜きでバンバン使用されるだろうが、可能な限りそれぞれの言葉の定義付けを明確にして、発表出来ればと切に願うものである。